丁度去年の今頃、mixi日記で書いた身体論的な話を、ちょろっと書き直しつつアップ。
今年の最後で使いまわしというのがアイタタですが…。すみません…。
それでは、来年もどうぞよろしくお願いしまーす! 明日からも精進しつつ、頑張ります…!
※一瞬、ゲーム「女神異聞録ペルソナ」、またこのシリーズの一部内容を引用に使っていますが、むしろ知ってる方がちんぷんかんぷんになるかも知れません、ごめんなさい…。
去年(※08年)のニュースで、
・類人猿の口笛が言語の起源か
というのがございまして。
なんでそんなんに反応してんのかと申しますと、これは青木先生がずっと教えてたくれていたことだったからです。
先生はいつも「お前ら本当に、猿が足立って人間になったと思うか」と、ダーウィンの進化論をさくっと切り捨てることを(笑)仰っていたのですが、それにもちゃんと先生の論があったのですよ。
以下、ちょっとわかりにくい話になるのですが、先生の論を私なりに解釈してまとめてみますと、
人間の始まりは、個体(身体のみ)から発生した動物が、人間として「自分」を認識できるようになった瞬間である、というのが青木先生の論でした。…かなり乱暴で大雑把なまとめ方ですが。
自分自身を指差して、「俺は~だ」と認識すること、それから「これは~だ」となにかを指差して、その後に「それを認識した自分は何者なのか、なんなのか」という、「自我」と「自意識」(自己表現・自己表出)の目覚めが、人間の始まりである。
つまり自我・自意識の芽生え(自らを表現すること)が自己の始まりであり、言葉の始まり、人間の始まりなんだ。…と、青木先生は語っていました。
ゲームで引用するなら、ペルソナ1、2で主人公達はまず「ペルソナ様」をやって、「無意識と有意識の狭間」でフィレモンに自分の名前を云う、という儀式があります。そこで自分の名前を云うことで、主人公達はペルソナというもう一人の自分の力を得ることができます。けど「無意識と有意識の狭間」で自分の名前を云うというのは、存外非常に難しいこととフィレモンが語ります。実際、これはとても難しいことです。(ここは意識が言葉になって行く、自己になって行く過程なのかも知れません)
意識があるのかないのか曖昧な場所、つまり夢の中のような空間の中で、自分の名前を云う。ペルソナ1のオープニングで荘子の「胡蝶の夢」が流れるというのは、まさに「無意識と有意識の狭間」がそういう場所であることを示しています。けど夢の中と(身体の、動物としての発達の中)いうのは、自分の存在さえ曖昧なわけですから、その曖昧な自分を、“自分”と認識・自覚できる「自我」「自意識」が、あそこで名前をいうには必要ということになります。
自分の名前を云って、自分が何者であるかを確認することによって、「自我」と「自意識」を得る。ペルソナシリーズでは、ペルソナはずっと「もう一人の自分」というテーマで一貫しています。
自分の影(もしくは自分自身)を見て、それを自分だと認識する。それがゲーム本編で云う、「ペルソナ」です。(この辺、4とかはそれが特にわかりやすかったように感じます)
つまり「これは私(俺)だ!」という言葉を発することが、「自我」の始まり、人間の始まりだ。――というのが先生の論でした。(※ペルソナシリーズの引用は私の解釈です)
だから冒頭のニュースは、先生がずっと、何十年も語ってきたそれが本当であったことが知られはじめてきたのかなーと、しんみりと、けれど少し嬉しい気持ちになれたのでした。
…しかし書いてて思ったけど、相変わらずわかりにくいな、私の解釈…。
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・同人歴は気付けば十年戦士。むしろ干支一回り。